カステラ書房の毎日

webで小説やエッセイを書く〝阿倍カステラ〟の勤務先。それが『カステラ書房』。今日もひっそりとオープン‼︎

阿倍カステラはいまはまだ無名だけど、やがて有名になる〜みたいな話


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☆何回か試したんだけど、画像が横になるんだよなあ☆





懲戒解雇になって切迫つまっていた。ハローワークに赴き失業保険の申請手続きを窓口に相談する。


退職理由が自己都合だと失業保険の給付は三か月後になると相談員から聞かされ、うなだれてハローワークを出るとたまたまそこで、知り合いの女性と顔を合わせるんだ。


そんな都合よく鉢合わせするかね。



えっとね。これは僕の話をしてるわけではない。僕は懲戒解雇もされてないし、失業保険の受給もしていない。これは向井理主演のドラマ『10の秘密』第4話の冒頭シーンの話だ。


一丁前に物書きの端くれみたいな立場で、「いかにも展開がドラマすぎる」と思う。


でも現実って、「事実は小説より奇なり」って言うように、たまたまの出会いや、会いたくない人に偶然にばったり会ったり、ここぞというタイミングでここぞという人と鉢合わせたりすることがあるもんだ。そういう意味では、このドラマの冒頭シーンはリアルに描かれているのかも知れない。



僕は今はまだ無名だけど、やがて有名になる未来の小説家だ。


日本人はこういう事をあまり言わないで、人知れずこつこつ努力して、影でこっそりと夢を隠し持つ人が多いみたい。僕だって人のことをとやかく言えない。


だけど最近の日本人は変わってきてる。

サッカーの本田圭佑さんみたいに、常に夢を語って有言実行でそれを実現するタイプの日本人がいて、それに憧れ自分でもそうしてみようと思う日本人も増えてきているように感じる。



僕はどちらかというと、「阿倍カステラ」という人間は「やがて有名になる未来の小説家だ」くらいな事は平気で言うタイプだろうな、と客観的に思ってる。それを言うか言わないかは、人によって印象が分かれるだろうけど、潜在的な日本人はそれを言うことをできれば避けるんだろう。でもそれを言うか言わないかを「面白いor面白くない」で判断するとしたら、それを言う人の方が面白いとされるのは間違いない。それを言わないで内に秘めこっそりと努力している人を面白いと思う人は少ない。そもそも面白いと気づくことができないんだから。



僕はこの「面白いor面白くない」を重要視してる。

何かをやるにしてもそれが面白いならやるし、面白くないならできるだけやらない方向へ持っていく(どうしてもやらないといけない事もあるので、そこんとこは上手いこと知恵を絞って)。


そして、やると決めたからには「面白い」と思える(思われる)手段や方法で、実行していきたい。


ロールプレイングゲームは道中に様々な困難を乗り越えて最終的にボスを倒してクリアすることに楽しさがある。

それが道中になにもなくて一本道をただただ歩いて、その先でボスを倒したとしてもそれって楽しいだろうか?

あれ? たとえがあまり適切なたとえになってないかな? 伝わってなかったら、この部分は忘れてくださいませ。



とにかく平凡にあきたんだ。

この先は面白いことをやりたい。


信じる道をあきらめずに突っ走ってたら、ぼろぼろになってしまった。

疲れたからだは休養することで回復し、再び走りだすことも可能になるのだろうけど、疲れたこころはそう簡単にはいかないのだと、その当事者となってみて気づいた。


あきらめの悪い性格は、それに呼応するメンタルとフィジカルがあってこそ良い方向に進む。「絶対にあきらめない」という気持ちを否定はしない。かつての自分がそうだったんだ。失敗したって自分があきらめなけりゃ成功するまでやればいいって。それで成功にたどり着ければ失敗なんてなくなる。ただ突っ走ってただけのくせに「失敗は成功のもと」ぐらいの事を平気で言うんだ。



痛いくらいにがむしゃらだったあの頃のことはもう忘れよう。

すでにすべてを失ってしまった自分を受け入れよう。「絶対にあきらめない」とかつての自分を取り戻し、再び走りだすなんてことはもうない。


僕はもうあきらめたけど。

このあきらめは、わるい意味じゃない。

さよならがいつも永遠の別れじゃないように。

さよならは再び会うまでの合言葉だとも言えるから。



僕は諦念という考えで、あきらめることを選ぶ。