カステラ書房の毎日

webで小説やエッセイを書く〝阿倍カステラ〟の勤務先。それが『カステラ書房』。今日もひっそりとオープン‼︎

だから僕は「何もない」なんて言いたくなかった

とくにまだ何もない段階からこの文章を書き始めた。


「何もない」わけではないな。

何かはあった、はずだ。そう、ずっと考えていたし、ここ何日間はとくに考えていたはずだった、何か。


その手につかむことができなけりゃ、それが〝=(イコール)〟「何もない」というのなら、言い訳はできない。うん、何もない。


だけど。その手に何かをつかもうとしていれば、現時点ではその手に何もないけれど、きっとつかもうとしている〝何か〟はそこかあっちか、はたまた果てしなく向こうかにあるはずだ。


だから僕は「何もない」なんて言いたくなかった。


すべてを失って何にも無くなった僕がいうのもおかしいけど。

すべてを失ってしまった僕だからこそもうこれ以上失いたくない。

未来の僕がその手につかもうとしてるものまで、無かったことのように失くしてしまいたくない。



ある日、

僕は人間をやめて

「カステラ」として

生きることにした



僕にとってこのフレーズは、大好きな宮崎あおいさんが出演している「earth music&ecology (アース ミュージック &エコロジー) 」のCMでも出てくる〝 あした、なに着て 生きていく? 〟みたいなことだ。

ついでに言っておくと、宮崎あおいさんが出演しているものじゃないとなんか違う。それこそ広瀬すずさんが出演しているCMもあるけれど、僕にとっての〝 あした、なに着て 生きていく? 〟は、宮崎あおいとセットだ。



YouTubeはユーザーが好む動画を常に上位に表示してくれる親切者でありお節介者だ。

おかげで毎日、探す手間もいらずLONGMANのMVやLIVE映像が観られる。


このLONGMANの、とくに『Sunset』を聴いて毎日を生きていくための活力をもらっている。

沈みゆく夕陽を背に三人が演奏している姿は終わりではなくはじまり。

ただ闇雲に歌う「歩きだせ! 」とは違くて、そこにある弱さに気づき、そこに寄り添ってくれながら共に歩いていこう、とでも歌ってるようにきこえるんだ。


僕はLONGMANをずっとみていたい。彼らの楽曲をずっときいていたい。


そういう意味ではYouTubeには「未来決定能力」があるのかもしれない。アニメ『虚構推理』でいくつかに枝分かれした未来の線を、九郎がつかもうとしている映像が頭に浮かぶ。この世界には果てしないほどの音楽があり楽曲があるけれど、僕はLONGMANと出会えた。紹介してくれたのはYouTubeだった。YouTubeが差し出してくれた未来を、僕は選んでつかむことができたんだ。ありがとうYouTube、「お節介者」なんて言ってごめん。でもよく「こんなもん見ないよ」ってもんを薦めてくるからさ。




話はだいぶ逸れたけど。

本筋からは逸れてはいない。

僕は「カステラ」として生きることによって未来を語れる。


僕はこれからも、ここで大いに語ろうと思うんだ。

その「何か」をこの手につかむために。


そのために僕は生きてる